魔女の宅急便

 少数ながらも存在する北米地域の魔術に関する民間伝承の中でこの魔女の宅急便と俗称される逸話が取り分け専門家の注意を引くのには、それなりの理由が存在する。
 それはその伝承の起源を合衆国成立前後まで遡る事が出来るという歴史的視座からの重要性が無視出来ないというものである。
 ここではその物語の実相について掻い摘んで見て行く事にしよう。


 4:魔女の贈り物

  1806年も明けて間もない1月の7日、三人の女性が魔女の容疑で逮捕された。
 三人が森の奥で、悪魔の儀式を行っているとの告発があったのだ。

 1806年7月6日、マサチューセッツ州オークヒルのロバート・カーソン町長は、昨日自宅浴室で謎の死を遂げたイングリット・ピアソンの死を以って、一連の騒動は収束するだろうとの見解を発表した。オークヒルでは2週間前の魔女裁判以降、それに関わったとされる人物が次々と謎の死を遂げるという事件が相次いでおり、人々は”魔女の呪い”として恐れおののいていた。ピアソンはこの裁判において状況を決定付ける証言を行った最後の証人であり、その死によって魔女の怒りも収まるだろうと地元の人々は胸を撫で下ろしている。

 上記は1806年7月9日付けのインディビデュアル・マサチューセッツ・ガジェット紙に一面記事として掲載されたものの抜粋である。
 残念な事に同紙を発行していた新聞社は2年後の1808年、火災によって焼失してしまっており、この事件に関する記述は殆ど残っていない。
 しかし、現在の所専門家筋の見解では、この事件こそ”魔女の宅急便”と呼ばれる伝承の直接の源泉となった可能性が高いのである。
 
 マサチューセッツ州プリンスヴィルは、現在閑静な住宅街として、主に新興系企業のヤング・エグゼクティヴ層に人気のある土地である。
 適度に自然環境が保たれ、かつ周辺地域への交通網が整備されたこの街は、ベッドタウンとしてうってつけの要素が整っているのである。
 しかし、ここがそうした所謂”新住民”に人気があるのにはもう一つ大きな理由がある。
 マサチューセッツを含むニューイングランド地方は、北米で最も初期に入植が行われたことからも歴史が古く、それ故に因習に非常にこだわりを見せる土地柄である。要するに”余所者嫌い”なのだ。
 また”バイブル・ベルト”という単語で知られている事からも分かるとおり、殆ど頑迷といっても差し支えないほどの、ある意味非常に敬虔なプロテスタントの信者層によって住人の殆どが構成されている。
 こうした”過去の虜囚”たちは、新興の住人にとっては限りなく煩わしいのだ。
 だがプリンスヴィルは最近になって開発された新興住宅地であり、そういう慣習が全くといっていい程存在しない。
 そこが、この土地に多くの、新しい住人を招いたのだ。
 先ほどプリンスヴィルは新興住宅地だと書いた。これは間違いではない。
 だが、土地が新しいという部分については、厳密には誤りである。
 そう、このプリンスヴィルこそ、かつてオークヒルと呼ばれる土地だったのである。
 かつては物資輸送の重要な中継拠点として繁栄していたオークヒルは、ある時を境に急速に住人が減り始め、ついには街そのものが放棄されてしまったのである。
 
 「魔女の贈り物」という話がある。
 所蔵されている書籍は複数存在するが、基本的な部分は殆ど同じになっている。以下に要約した話を見てみよう。

 オークヒルの街で、3人の魔女が捕まり、裁判に掛けられた。2人はすぐに罪を認めたが、最後の1人は無罪を主張して譲らなかった。
 裁判の結果、この1人は魔女として火あぶりにされ、裁判官や、彼女に不利な証言をしたもの、判事、そして見物に来た全ての人々に呪いの言葉を吐きながら死んでいった。
 それから数日後、裁判に関わった人が次々と謎の死を遂げた。やがてその不審な最後は見物人であった街の人々にも及ぶようになった。
 魔女の祟りと恐れた人々は街を捨てて逃げ出し、とうとう街には誰も居なくなった。

 以上が「魔女の贈り物」という伝承の骨格である。
 そう呼ばれる所以は、この伝承内で不審な死を遂げた人のところで、不気味な物品が発見されるからである。
 それは物語によって複数種存在している。鴉の死骸、猫の頭骨、黒い油のようなものなど姿形も区々になっている。恐らく伝承が成立し伝播していく過程で作為が加えられた事による派生だろう。
 作為。そう、伝承には必ず作為が内包されている。場合によっては全てがその場合さえもある。
 では、魔女の贈り物がどういった話なのかを、各種の伝承、そして公に残された記録を基に辿ってみる事にしよう。

 全ては、一人の女性、エリザベス・アトゥールが魔女として告発された事によって始まったのである。

以下次回

 

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