魔女の宅急便

 少数ながらも存在する北米地域の魔術に関する民間伝承の中でこの魔女の宅急便と俗称される逸話が取り分け専門家の注意を引くのには、それなりの理由が存在する。
 それはその伝承の起源を合衆国成立前後まで遡る事が出来るという歴史的視座からの重要性が無視出来ないというものである。
 ここではその物語の実相について掻い摘んで見て行く事にしよう。


 4:オークヒルの魔女裁判(その1)

  エリザベス・アトゥールの告発を巡る記述は、最終的に当時としてはかなり大きな事件となったにも関わらず、意外に少ない。
 前述した地方新聞社の火災もその一因とも言えるが、それ以外にもこの後に続く不気味な事件が、人々の心をこの事件から遠ざけようとした事が原因ではないかとも推察される。
 焼失を免れた残された数少ない記録の内に以下の新聞記事がある。

 
6月19日、3人の女が魔女の疑いを受け、サマセットヴィルの巡回判事に告発された。三人は森の奥で赤子の血を捧げる邪な儀式を執り行っていたとされている。
 告発者の氏名等は明らかにされてはいないが、儀式を目撃した他にも三人が以前から魔術を行っていた証拠も持っているとしている。


 以上は1806年6月21日付けのインディビテュアル・マサチューセッツ・ガジェット紙(以下IMG紙)からの抜粋である。
 残された新聞記事や資料などには、この事件の関係者の氏名などは殆ど出てこない。これは異例な事といえる。
 当時のマスコミの性質を考えれば、個人情報の秘匿を行う事など考えられないからである。
 ましてIMG紙はマサチューセッツの東部方面にのみ配信されていた規模の小さい地方紙である。
 あるいはそこに意図的ま情報の隠蔽、もしくは記録の抹消の可能性も否定できない。

 しかし、幸いにも現在、この一件に関しては多くの情報を知る事が出来る。
 事件を担当した巡回判事の個人的記録、即ち日記が発見されたのである。

 ゲイリー(ジェリー)・ドーソン判事は、オークヒルを含むマサチューセッツ東部の小村落の裁判を受け持つ巡回判事として、この一件を担当する事になった。
 判事としての正式な記録は既に散逸してしまっているが、現在ロサンゼルスに在住している判事の子孫にあたる人物が、他の幾つかの遺品と共に日記を保管しており、”マサチューセッツ歴史協会”にそれを寄贈した為にその存在が明らかになったのである。
 それによるとドーソン判事は通例の巡回とは異なる所謂”特例”という形でこの一件を裁く事になったようである。

 
ジムより火急の要件在りとの手紙が届く。明日中にオークヒルへ行かねばならない。重大な犯罪の告発を行うとの事。
 恐らく以前話していた件と思われる。気が重い。勿論、断わるべくも無いが。

 
 以上は日記の6月17日の記述の抜粋である。
 新聞記事によると告発が行われたのは19日となっている。判事の日記と照らし合わせると、告発も急にでは有るが準備されたものである事が伺える。
 通例、巡回判事への告発は、判事がその村や町を訪れた際に成されるものである。それは個人である場合もあれば、犯罪者を拘束したその土地の司法機関からの場合もある。要するに告発のために判事を招聘するというのは、極めて異例な事なのである。

 続く19日の記述には以下の内容が登場する。

 本日三人の女性に関する告発を受けた。エマリー・グレンソン、シドニー・コレット、エリザベス・アトゥール。
 セルマの告発が正しければ、速やかに処断を下さねばならない。


 では次回以降は、判事の日記を核に、この裁判の流れを組み立ててみよう。

以下次回

 

<<戻る>>