メインコラム
その1

UFOと空飛ぶ円盤

 最初に根源的な質問を、一つしたい。

 
UFOは実在するだろうか?

 これには明白な答えが存在する。
 その答えとはUFOは実在する、である。

 では次に少し言葉を変えて質問したい。

 空飛ぶ円盤は実在するだろうか?

 残念な事にこれには明白な答えは存在しない。
 私見を述べるなら”詳しくは分からないけど、恐らくは存在しない”である。

 一見すると同じ事を言っているように見えるこの二つの質問は、しかし違う回答を導き出してしまう。
 何故なら実はこの二つは、全く違う事を聞いているからである。

 UFOとは、多くの人がご存知と思うが、Unidentified Flying Object=未確認飛行物体という言葉の頭文字である。ではこの言葉の意味は何だろう?
 それはもう読んで字の如く”正体が未確認の飛行物体”である。それ以上の意味は無いのだ。
 では空飛ぶ円盤の方はどうだろう?
 これも読んで字の如く”円盤状で空を飛ぶ物体”である。
 改めて意味を考えれば一目瞭然、二つの言葉は全く違うものを指しているのだ。質問の答えが違っても何の不思議も無いのである。
 だが、そう言われても、何となく居心地の悪さを感じてしまうのではないだろうか?
 それは要するに現時点で多くの人の認識下において、空飛ぶ円盤とUFOは同義語だからである。
 「そりゃそうだろ? 空飛ぶ円盤だって何だかよく分からないわけだから、未確認飛行物体じゃないか。」
 このように言う人もいるだろう。
 勿論この見解も全く間違ってはいない。
 しかし肝心の前提条件に不備があるのだ。
 即ち”未確認飛行物体とはそもそも何を指している言葉なのか?”という事が分かっていない場合が多いのである。
 そこでまずこの点をはっきりさせるために、空飛ぶ円盤とUFO、それぞれを見てみよう。

1:空飛ぶ円盤 〜壮大な誤解〜

 UFOを研究している多くの人は、UFOの時代は1947年から始まったと考えている。
 恐らく今現在も史上最も有名なUFO目撃事件がこの年に発生したからだ。
 言うまでも無い、ケネス・アーノルドの目撃である。
 この一件以来、全米各地から未確認飛行物体の目撃情報が相次いだ。ある調査では、アーノルドが飛行物体を目撃した6月24日から翌7月の4日までの間に、ほぼ全ての州(ジョージアとウェストヴァージニアを除いた全ての州だったと言われている)から目撃報告が寄せられ、7月16日までに合衆国陸軍航空軍(空軍の前身)が受理した目撃報告は、実に850件以上にもなったのだ。
 アーノルド目撃は、その内容そのものは(現時点でのUFO史的に見て)取り立てて抜きん出たものでは無かった。しかし当時多くの人がセンセーショナルにこの事件を捉え、また後年の研究者もこの事件を重要視している。
 それには主に二つの理由が考えられる。
 一つは、報告内容が一定の見識と専門的知識を有する目撃者の、比較的冷静な観察に立脚しているという事。
 アーノルドは商用や私用で自家用機を多用する、アマチュアとはいえヴェテランのパイロットであり、その彼が非常に冷静に物体を観察し報告した事で、目撃報告の信憑性と、そして神秘性が同時に上がったのではないだろうか。先にも述べた通り今の視点から見てみると目撃内容自体はそう特筆すべきものではない。
 そしてもう一つが、”空飛ぶ円盤”という言葉の発明である。
 アーノルドの目撃を報じた地元紙「イースト・オレゴニアン」の記者、ビル・ベケットがその見出しに用いられたのが、俗に”空飛ぶ円盤”という名称の、最初の使用例と言われている。
 しかしこの時、永きに渡ってこの問題に関わる大きな錯誤が生じた。
 アーノルドは自らの目撃した物体について、「投げたソーサー(カップなどの受け皿)が水面を飛ぶような動きをしていた」と語った。
 お分かりいただけるだろうか? 要するにアーノルドは自分の見た物体は”水切り”のような感じで飛んでいた、と記者に告げたのである。それが記事になる段階で空飛ぶ円盤に摩り替わってしまったのだ。
 こうして記事は”円盤のように飛ぶ”物体ではなく”空飛ぶ円盤”として発表されてしまった。
 つまり空飛ぶ円盤というものは、それが故意であるか否かは別として、本来意図してない言葉であり、全くの誤解なのである。
 因みに先に、数週間の間に850件もの報告が入ったと書いた。
 その殆どが”円盤状の飛行物体”に関する報告だったという。
 この事は、UFOというものの実相、特に目撃報告と目撃者について考える上で非常に興味深い示唆を与えてくれるのではないだろか?
 空飛ぶ円盤。その存在は、50年以上もの永きに渡って積み上げられてきた、壮大な誤解という可能性があるのである。 

2:UFO 〜どう”未確認”なのか?〜

 では次にUFOとは何か、について考えてみよう。
 考えるまでも無い。そういう人も多いだろう。既に書いた通り、UFOとは未確認飛行物体の事だ。
 正体の分からない飛行物体、それがUFOだ。
 成程、その意見は確かに正しい。しかし完全ではない。事はそう簡単ではないのだ。
 例えばこれを読んでいる貴方が、不思議な動きで空を飛ぶ銀色の円盤状の物体を目撃したとしよう。で、そいつが飛んでいった方向を追いかけたとしよう。そしてとある山の麓でそいつに追いついた。そいつは田んぼの真ん中に着陸していたのだ。
 と、ここで問題が生じる。これは、果たしてUFOだろうか?
 その物体は未確認ではあるが、飛んでいないのである。
 未確認飛行物体。実はこの言葉を定義するのは並大抵の事では無い。
 未確認とは、何を基準に”未確認”なのか?
 飛んでいないとUFOではないのか?
 発光だけで実体が確認できない時はどうなのか?
 あるいはこういう場合はどうだろう?
 貴方が空を飛ぶ不思議な発光体を目撃、一生懸命追跡したが見失ってしまった。
 勿論それはUFOなのだが、見失った地点の近くに一人の男が立っていて「ああ、貴方が目撃したのはライトをつけたラジコンのヘリでしたよ。もう飛んでいきましたけど」と告げたとする。
 仮にこの男の言う事が正しいとしても、それを貴方に確認する術はない。この場合はどう取り扱えば良いのだろう?

 UFOという言葉が初めて公式に使用されたのは1951年からである。
 当時の政府のUFO現象調査計画”プロジェクト・ブルーブック”の責任者に任命されたエドワード・J・ルッペルト大尉が、空軍情報部長であるジョン・A・サムフォード少将に対して行った状況報告の中で、調査の対象を”フライング・ソーサー=空飛ぶ円盤”ではなく”UFO”と呼称すべきだとの提案をしたのが端緒とされている
 しかし、この語を作ったのはルッペルト大尉ではない。「サダデー・イブニング・ポスト」という新聞社に所属していたシドニー・シャレットという記者がその生みの親である。
 ルッペルト大尉は数ある”この種の目撃報告”を総称する言葉として、使用されていた名称の中からシャレットの”UFO”を選んだのである。理由は、その言葉に秘められた客観性を感じさせる響き故だろう。そしてその客観性という”魅力”はルッペルト大尉が、公的な報告書で、また取材やその種のマスコミ向けの発言の中で繰り返し使用した事により、大衆をも魅了したのだ。
 しかし、この成立過程を見ても分かる通り、実はUFOという言葉もそれほど確固たる実体を伴った言葉ではないのだ。
 だがこれには無理からぬ所もある。
 ルッペルト大尉が任務についた時点で、UFO現象がこれほど多岐に渡るとは思いもしなかったのである。

 1966年に発足した空軍の新しいUFO現象調査プロジェクト、コンドン委員会ではUFOを以下のように定義している。
一人ないしはそれ以上によって飛行中目撃された、あるいは地上にいる状態で飛行可能と思われる物体で、目撃者にとって通常の自然界にある物体と固定できない上に報告を行わなければならないと思うほど十分に困惑させるような物体。
 何とも回りくどい表現である。
 しかし、これでも完全ではない。
 上の例え話で二つ目に挙げた例を思い出してもらいたい。
 目撃者である貴方には確かに”未確認の物体”で”当惑”し、”報告しよう”と思った。しかし、次に現れた男にとってその飛行物体は”ライトをつけたラジコンヘリ”に過ぎないのだ。
 物体を確保する事が出来ない以上、どちらが正しいかを確認する術はない。しかしお互いにとってお互いの見解は間違いが無い。
 この時この物体はUFOなのだろうか? それともそれ以外の何かなのだろうか?

3:”UFO”と”UFOを目撃する”という事

 UFOがこの世に新しい超常現象として出現してから60年弱。その間にUFOは様々なヴァリエーションを生み出した。それは幾分かの信憑性を含む話から、パラノイアじみた妄想に過ぎないものまで多岐に渡る。
 しかし、変わらない事実が一つだけある。
 それはUFOは未だに実体を伴っていない、ということだ。
 この事が問題を一層複雑にしている。
 確固たる物体が存在しないから、いつまでもUFOを定義できないのである。
 UFO研究界のガリレオとも呼ばれるJ・アレン・ハイネック博士はUFOそのものではなく、UFOの目撃報告を定義することによって間接的にUFOを定義しようと試みている。
 これは実体を持たないUFO研究にのみ起こる特有の現象だと言えよう。
 要するに捕まえる事はおろか、間近で客観的に観察する事も出来ない以上、UFOが何であるかを定義する事は不可能なのである。
 そしてこの事は、実体を得て確固たる研究に入った途端、それはUFOではなくなる事も、同時に意味している。
 こうした諸々の情勢から、現在UFOという言葉は(つまりUFOを目撃するという事は)以下のように定義されている。
空中、ないしは地上に存在する飛行可能と思われる物体、ないしは発光について報告される現象の内、その外見的・運動的特性が、物理・光学における既存の理論的説明と合致せず、第一発見者を当惑せしむるのは勿論の事、専門的分析確認能力を有する見識者によって、入手可能な全て証拠が検討された後もその正体が不明のまま残ったもの。
 この何とも複雑怪奇な言葉がUFO現象の”今”である。
 最初の問題に立ち返ってみよう。
 UFOは実在するだろうか?
 実在する、と私は書いた。
 実に簡単な話だ。それが”誰にとって未確認なのか”を定めていない以上、第一目撃者にとっての未確認物体、すなわち”UFO”は間違い無く実在する。
 そしてもう一つの質問、空飛ぶ円盤は実在するか、についても、私の言わんとしている事を理解してもらえるだろう。
 今挙げた事は、要するにUFOや空飛ぶ円盤という言葉がいかに曖昧なまま使われているかと言う事の証明でもある。
 UFOを目撃するという事は、かくのごとく、複雑な事なのである。

 では、そうしたUFO目撃報告に対して軍はどのように対応したのか?
 次はその辺りを見ていこう。

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