メインコラム
その2

UFOと戦った人々
〜合衆国軍とUFO〜

 空飛ぶ円盤の時代は1947年から始まった、とされている。
 しかし、空中に目撃される正体不明の物体に関する逸話は、それよりも遥か以前から存在していた。
 そしてそれはその場その時によって、様々な解釈がなされていた。
 しかし、それが許されるのはあくまで市居の人間だけである。

 第二次世界大戦当時、特に1943年以降、軍用航空機を追跡、あるいは並行する光体に関する報告が多く齎されている。
 アメリカを含む連合軍はこれを敵の新兵器、その光体が攻撃を仕掛けてこない事実から心理的な威嚇か偵察を目的とした無人機であろうと推察していた。
 そこで捉えた敵軍のパイロットを尋問した所、ドイツや日本のパイロットもこの光体に追いかけられていたのである。
 フーファイター、そう渾名されたこの光体に関する目撃報告は、1950年〜1953年にかけての朝鮮戦争中にも寄せられている。
 現在の研究ではその正体は球電かプラズマのような特殊な大気現象であると考えているが、当時としては少なからず深刻な問題であった。自国、あるいは自陣に所属するものでない以上、その光体の飛行性能は脅威だったからだ。
 そしてこのフーファイターの目撃例を検討すれば、それがUFO現象としての要項を十分に兼ね備えている事が分かる。
 1953のCIA諮問委員団はこのフーファイターに言及して次のように述べている。
 「もし、1943年当時”空飛ぶ円盤”という単語が一般的になっていたならば、明らかにこれらの物体はそこへ分類されていただろう。」

1:ロス空襲と隠蔽工作

 それがたとえ僅かでも、そして如何なる形であっても脅威となる以上、国防の責を負う軍としては、UFO問題を放置しておく事は出来なかった。
 その正体を究明し、然るべき処置を取らねばならない。
 ここで注目されるのは1942年のロサンゼルス空襲である。
 このロサンゼルス空襲は、軍(つまり合衆国政府)が、UFO現象の調査に乗り出した初めての事例であり、また何千人と言う目撃者が存在する大規模目撃でもある。
 軍は大量の高性能砲弾を使用し、何の成果も得られなかったという事態に対して理論的な回答が必要だった。
 しかし、調査を重ねてもその飛行物体の正体に関して何の示唆も得られないという当惑する事態に直面したのである。
 事件の翌日、フランク・ノックス海軍長官がワシントンから声明を出し、市上空には当夜一機も航空機は飛来せず、対空砲火は戦時下で過敏になった神経と誤報がもたらしたものであると発表した。
 ところが数時間のうちにこの見解は変更される事になった。
 ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長はフランクリン・D・ローズヴェルト大統領に宛てた事件に対する自分の見解を述べた文書で以下のように報告している。

 以下は、昨日午前ロサンゼルスに発せられた空襲警報について、現時点で総司令本部から入手している情報であります。
 現時点で分かっている詳細から。
 1:アメリカ陸軍機でも海軍機でもない未確認の飛行物体複数がおそらくロサンゼルス上空にあり、3時12分から4時15分にかけて第37カリフォルニア対空旅団麾下部隊の射撃を受けた。各部隊は1430発の砲弾を消費した。
 2:15機にのぼる航空機がいたものと思われ、その飛行速度は公式に「非常に遅い」と報告されたものから時速200マイルまで様々で、高度は9000〜18000フィートの間だった。
 3:投下された爆弾は無い。
 4:味方部隊に損害は無い。
 5:撃墜された航空機は無い。
 6:アメリカ陸軍機も海軍機も飛行してはいなかった。
 調査は以前続行中。
 もし、未確認の航空機が関与しているであれば、それは民間機であり、敵の工作員が不安を煽り、対空砲火の位置を暴き、灯火管制によって生産性を低める目的で飛ばしたと結論するのが妥当と考えます。
 この結論は飛行速度がまちまちである事、透過された爆弾が無い事によっても裏付けられます。

 このロサンゼルス空襲は、政府による情報隠蔽工作の最初の例であるというUFO研究家もいる。
 というのもこの覚書の中で語られている”続行中”の調査を裏付ける書類が見つかっていないからである。
 そもそもこの文書自体国防総省は長年存在を否定し続け(ロサンゼルス空襲に関する事件の記録は存在しないとしていた)、情報公開法によって漸く公開したものだ。この事は事件に更に暗い一面を付け加える事になってしまった。
 軍はUFOの襲来を知りながら(その実存を確認しながら)、大衆に真実を隠しているのではないか?
 現に軍は事態発生当時からこのロス空襲に関しては口が重く、当時の新聞「ロングビーチ・インディペンデント」紙は「この事件全体を奇妙な寡黙さが取り巻いており、まるである種の検閲がこの問題を話し合う事を止めさせようとしているかのようにさえ感じられる」と書いている。

 だが、冷静になって実際にそこで何が起こったかを考えれば、沈黙に逃げ込もうとした軍の対応も、決して理解出来ないものではない。
 実際ロサンゼルス空襲とは何だったのか?
 未確認の航空機、即ちUFOというファクターを除いて考えれば、そこで起こったのはゾッとするような大失態である。その事は、仮に其処に未確認の航空機が存在しようとも、またそれが単なる幻のようなものだったとしても、何ら変わりは無い。
 前者ならば第37カリフォルニア対空旅団は千数百発の砲弾を称して何の成果も得られなかったという事であり(言うまでも無くこれはその対空砲撃能力の稚拙極まりない事を意味している)、後者ならばいもしない”敵機”に向って58分間も対空放火を加えていたという事である(これは有事において軍が簡単にパニック状態になってしまう事を意味している)。
 UFOやそれに纏わる隠避工作などど持ち出すまでも無い。どう転んでも軍の失態以外の何物でもないのだ。
 1942年といえば第二次世界大戦の最中、軍は国防と言う重要な責務を負っており、そしてそれに失敗する事は決して許されない。そのような状況下にあってこの失態が明るみに出てしまったら、軍には如何なる釈明の手段も残されてはいないだろう。真に隠蔽されるべきはロス空襲という”事態そのもの”であり、それが不可能ならば只管沈黙を守り、やり過ごすしかなかったのだ。

2:責務としてのUFO対策

 第二次世界大戦後も、軍とUFOの関係に大きな変化は現れなかった。
 戦時中は”ドイツ、あるいは日本の秘密兵器ではないか?”と疑われていたUFOには、戦後新たな嫌疑がかけられる事になった。
 そうUFOは”ソ連の秘密兵器ではないか?”との疑いがもたれるようになったのである。

 1947年、ケネス・アーノルドによる歴史的な目撃がなされた後、全米各地の陸軍航空軍には”不思議な航空物”の目撃情報、あるいはそれに対する問い合わせが殺到した。
 しかし航空軍はこれら押し寄せる”情報”に対して何ら組織的な、そして積極的な対応を取ろうとはしなかった。
 理由は単純にして明快、航空軍にはこうした事態に対応できる能力が無かったからである。また各基地の情報将校達も、独自にこうした目撃情報を調査する権限を与えられてはいなかった。
 しかし、ある事件が、軍にUFO現象に対する組織的なアプローチを要求する事になる。
 それはマロック飛行場(現エドワース空軍基地)における一連の目撃である。
 一連の事件の後、目撃された飛行物体と同等の航空性能を有する機体を如何なる基地も保有していない事、そして目撃には何某かの実体が伴っているらしい事は上層部にも少なからぬ動揺を与え、遂には”あらゆるUFO報告を調査せよ”という秘密命令が通達される事となった。調査結果はライトフィールド陸軍飛行場(現ライトパターソン空軍基地)の航空資材軍団技術情報部(TID)に送付する事とされ、7月にこの命令に従って技術情報部の将校2名がケネス・アーノルドの元を訪れている。
 ”第17号事件”としてファイルされ、”秘”の秘密区分等級を与えられたその報告の中で技術将校達はアーノルド証言の誠意と信憑性を認め、「もしアーノルド氏がこのような性質の報告を行いながら、その物体を見ていないとするなら、直ぐにでもSF小説の執筆に手を染めるべきだ」と付言している。しかし、このアーノルド目撃への対応こそ、軍がUFO問題において犯した最初の、そして長期に渡って事態を混乱に導く、致命的な失敗だったのである。

 7月一杯かけて証拠を集めた技術情報部では、当然ながら謎の飛行物体の出自について議論が交わされた。集められた数々の事例によって、空飛ぶ円盤とも呼ばれるこの謎の飛行物体に、何らかの実体があるのは疑いようも無く思われたからだ。異星人の乗物から動物の誤認まで様々な説が出たが、最終的に最も有力と考えられたのは”他国の開発した未知の航空機”であった。他国の、とは言うまでも無い、ソビエト連邦の、である。
 その後の増加する空飛ぶ円盤の目撃報告は航空軍広報担当者に処理不能の問題に直面させる事になった。
 航空軍は祖国の防空を担当するものとして空飛ぶ円盤の正体を正確に突き止める責任があったが、UFO情報を収集する機関こそ指定したものの、それらを多角的(言うまでも無くそこには科学的・軍事的な、そして既存情報から予測までを含む)に比較検討する為に必要な中央情報処理センターを持っていなかった。その上航空軍はUFO問題が抱える国家安全保障上の問題、即ちもし世間を騒がせているUFOがソ連ブロックの秘密兵器だったらどのように対処するのか?という説明を求める世論をなだめるという問題に同時に対処しなければならなかった。
 まずもってその正体を突き止める事が出来ないのに、その物体が齎す可能性のある脅威への対応を求められたのである。
 結局軍の採ったこの問題、特に後者に関しての対応はお粗末極まりないものであった。彼らは自分たちに求められる責務との兼ね合いから、またも”沈黙”へと逃げ込んだのである。彼らは押し寄せるUFO目撃報告に対して何ら納得の行く判断を下す事無く、不誠実な対応に終始したのだ。
 陸軍航空軍はアーノルドの目撃した一連の物体は蜃気楼だったとの公式報告を発表した。アーノルドは当時「空も大気も澄み切っていた」と証言しており、こうした状況では「空気の温度差の逆転」と呼ばれる現象の発生を示唆しており、それは大気の高い屈折率を生み、蜃気楼が発生するのにおあつらえ向きの状況だったと述べたのである。
 しかしアーノルドはこの公式報告を真っ向から否定した。彼は自分が見たものは間違い無く実体であり、恐らく陸軍航空軍は自分の見たものを知っている。その写真さえ持っていると断言したのである。先に述べた致命的な失敗はこの時起こった。航空軍は、この公においてなされたアーノルドの発言を、否定も肯定もしなかったのである。そう、沈黙したのだ。これは軍が有するUFO情報のあまりの希薄さと非系統的な処理から考えれば止むを得ない側面もあった。しかしこの沈黙によって軍、そして当局が傲慢な(そして根拠の無い)自信を持っているという印象を生んだ。しかもそれだけでなく、UFO研究者、あるいは感心のある人たちの間に軍の見解・発表は実際よりも信用性がなく、悪意あるものだ、即ち事実を知りながらそれを公表しようとしないという認識と、そしてそれを主張する口実を与えてしまったのである。
 そう、”UFO情報隠蔽説”の種子を植えてしまったのである。そしてこの種子は程なく芽吹き、何十年にも渡って大きく、そして根深く成長してゆく事になる。

3:UFOを”調査”せよ

 1947年9月23日、航空資材軍団司令官のネイサン・F・トワイニング中将は陸軍航空軍総司令官に覚書を送った(余談であるがこの5日前、即ち9月18日付けで陸軍航空軍は独立し、アメリカ空軍となっている。この肩書きが用いられたのは慣習故だろう)。覚書はジョージ・シュルゲン准将宛てになっているが、このシュルゲン准将が航空資材軍団に総司令官命令で”所謂空飛ぶ円盤情報”について評価するよう要請した人物である。
 覚書の内容は以下の通りである。

 
航空資材軍団の意見はAC/AS−2(シュルゲン准将の事)から提出された尋問報告のデータと、T−2及び技術部T−3航空機研究室の人員による予備的研究に基いている。
 この意見は航空技術研究所と情報部T−2、技術部長室、及び技術部T−3航空機・動力装置・推進装置研究室の人員によって作成されたものである。
 a:報告された現象は現実のものであり、幻覚でも空想でもない。
 b:恐らくは円盤状と思われる物体が幾つか存在し、その大きさは人工の飛行機と同じぐらいだったと思われる。
 c:事件の一部は流星のような自然現象によって引き起こされた可能性がある。
 d:報告されたような極端な上昇率・機動性(特に横転)、そして行動の特徴は、味方の航空機やレーダーによって目撃または接触された場合の回避行動として解釈されるべきもので、物体の幾つかが手動または自動または遠隔操作によってコントロールされている可能性を強めるものである。
 現在のアメリカがもつ知識を以ってすれば(そしてもし徹底した開発を行えば)上記のような全体的特徴を備え、亜音速で約7000マイル(11000km)の航続距離を持つ友人航空機を製造する事は可能である。
 次に以下の点について考慮する事
 1)これらの物体が国内で製造されたもの(AC/AS−2及び当軍団の感知しないある極秘プロジェクトが製造したもの)である可能性。
 2)これらの物体の存在を疑いなく実証する墜落の残骸などの物理的証拠が無い点。
 3)ある国が、我が国の知らない、恐らくは核による推進手段を所有している可能性。
 陸軍航空軍総司令部は、優先度、秘密区分、コードネームを定める指令を発してこの問題を詳細に研究するだけでなく、入手可能なあらゆるデータ関連データ全てを収集すべきである。
 収集したデータは、論評と勧告の為に陸軍や海軍、原子力委員会、JRDB、航空軍科学顧問グループ、NACA(アメリカ航空諮問委員会)、RAND及びNEEPAプロジェクトに提供され、互いにデータの完全な交換を行う必要がある。
 当面は航空資材軍団が現在の陣容でこの現象の性質をよりはっきりと特定する為に調査を続ける。


 軍というと先にも述べた通り(主に陰謀論者に)”隠蔽工作の片棒を担ぐ悪の温床”のような扱いをされる事もままあるが、この覚書には円盤を含む未確認飛行物体が宇宙から飛来したものだ、という事を思わせる記述は全く無い。軍がそういった事実をひた隠しにしているという形跡は全く無いのだ。只ここにはUFOの正体は不明なので急いで調べないといけない、という主旨の事が書かれているだけだ。
 更に付け加えるならトワイニング中将の幕僚陣は円盤の物的証拠が全く無い所に着目し、「UFOが現実のものであり幻覚でも空想でもない」とした自分たちの結論に対してさえ正直に疑問を考慮に入れるべきだとしている。
 繰り返しになるが、UFO問題に対して軍が沈黙を守ったのはそれに対する回答を持っていない事、そして国防を責務とするものとしてそれは許されないとするプライドから発露したものなのだ。だがその姿勢はUFO問題への対応を硬直化させる結果となり、他に採り得る事が出来た幾つかの、そして幾分でもマシな手段を用いる機会を遠ざけてしまったのである。

 しかしどの道軍はUFOの正体を突き止める試みを行わなければならなかった。第二次大戦後次第に起こりつつあった東西陣営間の対立、所謂冷戦構造はある意味戦中よりも政府や軍に緊張を強いたのである。その状況下で領空を(ある意味我が物顔で)侵犯する未確認飛行物体を放置しておくわけにはいかなかったからである。

 次はそうした軍のUFO調査計画、サイン、グラッジ、ブルーブックや、それに関連する様々な調査活動について見て行く事にする。

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