メインコラム
その4

ジャーナリストの参戦
〜戦いの始まり〜

1:プロジェクト・グラッジ

 「プロジェクト・サイン」を組織改編する形で発足した新たなUFO調査計画「プロジェクト・グラッジ」は、しかしサインとは幾つかの部分で大きく異なっていた。
 まず何よりも地球外起源説について、これを完全に放棄していた事である。
 勿論それはプロジェクト・サインとそして悲劇的末路を迎えた「状況評価」の”崩壊”の最大の原因が同説への固執と、それに伴うメンバー間の確執であったというのも大きな理由であるが、何よりも軍という組織の性質的側面が大きいと思われる。
 ヴァンデンバーグ大将が状況評価を却下したのは何よりも結論として導かれている論説(UFOは地球外起源の飛行物体である)が報告書内で提示されている証拠で証明出来ないからである。逆に言うと報告書で結論を導いたメンバーは自分たちの持つ偏向した意見(あるいは希望)にまかせて不十分な証拠から結論を”造り上げてしまった”という言い方も出来る。
 要するに地球外起源説は単純に論証不明なものであるというだけでなく、歪んだ視点に立脚する可能性の低い説だという結論に達したのである。
 何度も繰り返しになるが米軍がUFOを研究する目的は、それが国防上の驚異であるか否かを判断するというものだ。
 より現実味の大きい可能性があれば(あるならば、だが)そちらを優先して考慮するのは当然だろう。
 こうしてグラッジのUFO研究から地球外起源説、即ち「UFOは宇宙人の乗り物である」という選択肢は消えた。
 しかし、より大局的な視点で見た場合、この結論は必ずしも最良だったとは言えないだろう。
 言うまでもなく”それが何であるか分からない”ものを研究しようという場合あらゆる可能性は常に留保されておくべきであり、地球外起源説が最終的に何の実りもなかったとしても、そのために費やされた様々な手段と推論の中から別の可能性に関わる手がかりが見つかるかも知れない。
 しかし、サイン解体時に罹っていた軍の”ヒステリー状態”は、そんな調査研究上自明の理と思われる事をも上回ったのだ。

 もう一つの大きな相違は、グラッジは全ての調査報告を秘密にせず、公に刊行した事である。
 そもそも軍に対する不審の生じた切っ掛けは軍の調査活動の緻密さと、その結果として出される公式発表との間の温度差である。
 その点に反省した軍は自らの調査結果を包み隠さず公にする事で軍の誠実さを証明するのと同時に、論理の力が国民のUFO熱、更に言えばUFOに纏わり流布する怪しげな説を冷ますことが出来るのではないかと考えたのだ。
 1949年4月27日、グラッジのこの方針は長文の報道資料となって現れた。
 そして5月に入ってシドニー・シャレットはプロジェクト・グラッジの全面協力を得て懐疑的視点に基づく非常に冷静で理論的なUFO関連記事を「サタデー・イヴニング・ポスト」紙に二度に渡って掲載した。
 しかしここでも一つの齟齬が生じた。
 シャレットの草稿に目を通した空軍情報局はその掲載を取りやめるように申し入れて来た。その理由が、シャレットの記事が余りにも(冷静で理論的ではあるが)批判的だったのか、あるいは未だ軍内部に地球外起源説に未練を感じている者が居たのか、はたまた国防上好ましくないのではと考えた者が居たのか、理由は定かでは無い。しかし結局記事は掲載された。ジェイムズ・フォレスタル国防長官の後押しがあったからだ。
 そこで対応策として軍はシャレットの第一回目の記事が掲載されるのと同時に、ある公式報告を行った。それは「プロジェクト・サイン」の活動を要約したものだった。
 軍が何故このタイミングでサインの活動要約を発表したのか、正確なところは不明である。あるいはこれも”情報の積極的な公開”というグラッジの方針を表したものかもしれない。
 しかし、その結果批判的な記事(プロジェクトの後押しを受けた)とあらゆる可能性が述べられ検討された経緯(それも軍の公式発表によって明らかになった)が同時に世に現れる事になったのは事実だ。それを不自然に思った人間が居たとしても、そう不思議ではないだろう。
 勿論全ては何も隠し事はしないという軍の、引いては政府の方針に沿っているものである。基本的にこの試みは実に理に適っており、それだけに当初は成功するのでは無いかと思われた。
 だが空軍は、いや軍に限らず政府、更にはUFO問題に取り組んでいる多くの研究者は、人間というものを甘く見ていた。

 人間の、執念を。

 グラッジの目的は、最終的にある一人の人間が起こしたムーヴメントによって、無惨な失敗を迎えるのである。
 

2:ドナルド・キーホーの登場

 軍が発表する緻密なステートメント、プロジェクトのバックアップを受けてジャーナリストが掲載する批判的な記事。これらは確かに多くの人々に”冷却剤”として働きかけていた。同時期に軍の公式発表が様々な可能性を考慮していた事を示しているのも、積極的な情報公開であり軍の問題に対する誠実な姿勢を示しているものと多くの人が受け止めた。
 しかし、人の物の考え方は正に千差万別である。

 「UFOが既知の現象の誤認など、既存の理論で十分に説明可能なものだというのなら、一体何故軍はここまでUFO現象に関心を寄せるのだろう?」
 「何故ほんの少し前までにこれほど自由で闊達な意見交換・可能性の推敲が成されながら、最終的にここまで姿勢が硬直化してしまったのだろう?」

 この矛盾を唱えた人は何人か居たが、その中に雑誌編集者のケン・パーディーが居た。雑誌「トゥルー」の編集者である。
 パーディーと仲間達はそこに何らかの秘密があるのではないかと考えていが、彼らの調査は直ぐに壁にぶつかってしまった。
 そこで状況を打開するために1949年5月9日、パーディーは一人の男にコンタクトを取った。
 ワシントンD.C.に在住し、パルプ雑誌などの定期刊行物に記事を書いて生計を立てていたフリーランスのジャーナリスト、ドナルド・キーホーである。

 このコラムの目的はUFO現象の歴史を簡単にではあるが俯瞰し、その現状について考察しようというものである。従って一人の人間について突出した記載をする事は避けるべきなのであるが、このドナルド・キーホーについては掘り下げておく必要がある。
 何故なら彼こそ当時、そして現在、更には将来に渡ってもUFO研究に大きな影響を与え続ける、UFO史における真のキーマンの一人だからである。

 ドナルド・キーホーは1897年生まれ、海軍士官学校を卒業し、グアムでの飛行機墜落事故が原因で1923年に退役した時は少佐であった。その後も軍関係者と連絡を取り続けており、その中には初代CIA長官のロスコー・H・ヒレンケッター海軍中将や新型ミサイル計画の責任者であったデルマー・S・ファーニー准将が居た事は特筆に値するだろう。
 この軍との関係がパーディーがキーホーに白羽の矢を立てた理由であった。調査に必要なコネがあるように思われたのだ。
 加えてキーホーはトゥルー誌に記事を掲載した事もあり、更には(程度は不明だったが)UFOにも関心があるらしかった。
 「空飛ぶ円盤の謎について調査中。秘密の隠蔽を匂わせる大きな欺瞞の手がかりあり。ワシントンの調査を引き継げるか?」
 このパーディーからの連絡に、キーホーはUFOに関して調査するチャンスだと考えた。退役軍人でありパイロット経験のあるキーホーには、やはりUFOに関心を寄せていたのだ。
 6月に入ってキーホーとパーディーは会合を持った。それ以前にキーホーは入手可能な記事や資料からパーディーの言う当局の”秘密”の正体について4つの仮説を立てていた。
 1:円盤など存在しない。
 2:円盤はソ連邦、もしくはソヴィエトブロックの新型兵器である。
 3:円盤は合衆国の新型兵器である。
 4:全てはソ連に合衆国が驚異的な兵器を保有していると思わせるための欺瞞である。

 このキーホーの仮説に対してパーディーは別の可能性を示唆した。
 即ち、円盤は地球外から飛来した星間飛行用の乗り物かも知れない、と。
 この説を聞いたキーホーはこう語ったと言われている。
 「もしそれが真実だとするならこれまでのどんな事件よりも大きいパニックを人々の間に起こす事になるだろうな。」
 ”パニック問題”は現在でも頻繁に主張され、UFOが宇宙人の乗り物である事と政府の陰謀とを信じる人々にとっては最初の拠り所となっているのは言うまでもないだろう。
 そう、これこそが”政府陰謀説”の誕生の決定的瞬間であった。
 それまでは単なる”容疑者”であった軍や政府を積極的に罪に問う考え方が、正にこの瞬間に生まれたのである。
 会合を終え、帰路にある間、キーホーはその内容を反芻していた。
 自分が知っている全ての情報を再検討し、そこから何かを読み取ろうとした。
 そして自宅に到着する頃にはある”結論”に達していた。その結論は要約すると次の二つのエレメントを柱にしている。
 1:空飛ぶ円盤の正体は宇宙より飛来した地球外起源の飛行機械である。
 2:政府はその事実を把握しているが、パニックを避けるためにこれを隠蔽しようとしている。

 最終的にキーホーはこの二つを柱に、全ての情報に評価を下し始めた。そしてその結果多くの可能性、考慮されるべき他の要素が見過ごされ、あるいは黙殺される事となった。二つの基本狭義は絶対であり、事件も情報もその周囲を浮遊している。
 更にここから新しい考えが生まれた。
 軍が、全力を挙げてその存在を隠そうとしている空飛ぶ円盤について、しかしこれだけ民間に情報が流布しているのは何故だろうか?
 答えは明白だった。軍が意図的に話を流しているのだ。軍は自分たちに必要な情報を造り出し、必要なだけ流すことが出来るに違いない。
 三つ目のエレメントはこうだ。

 3:軍は国民を衝撃的な真実に備えさせる為、情報操作など精緻な計画を遂行中である。

 キーホーはフル回転で調査と執筆を開始した。
 三つのエレメントに裏打ちされたそれには常にバイアスが掛かっている。
 合衆国政府は地球外知性の地球来訪について把握しながら、不誠実にもそれについて発表しようとしないでいるのだ!と。
 キーホーはトゥルー誌の1950年1月に自らの調査に基づく記事を掲載、そしてその年の6月にはそれらを一冊の本に纏めている。
 「空飛ぶ円盤は実在する」である。
 そしてキーホーは彼の全てを掛けてUFO問題に取り組んでいく事になる。

 現代的な視点で見た場合、キーホーが提示した様々な仮説や憶測が、現在のUFO問題の底流の殆どを形作っている事に驚かされる。
 パニック問題、軍の情報操作、また「近く政府から詳しい発表があるかもしれない」というフレーズを最初に用いたのもキーホーであった。
 しかしこれらの憶測が3つの前提から出ている事は間違いない。真に検証的な目で見るならば、当初キーホー自身もそうしていたように前提を構成する情報・要素の事実性についても同じように継続して検証しなければならないはずであった。
 だが、パーディーとの会合を終えた時点でキーホーの頭から”UFO=宇宙人の乗り物”という以外の可能性は完全に排除されており、二度と顧みられる事は無かったのである。
 これが所謂”妄想”と呼ばれるものの初期段階である事は言うまでもないだろう。

 「空飛ぶ円盤は実在する」で高らかに宣戦布告したキーホーだったが、この当時UFOに関しての出版物は彼のものだけではなかった。
 次回は現在のUFO説話にも影響を与えているそうした古典的UFO書籍の背景と、そしてキーホーの新たなる剣「NICAP」について見て行きたい。


<<戻る>>