魔女の宅急便

 少数ながらも存在する北米地域の魔術に関する民間伝承の中でこの魔女の宅急便と俗称される逸話が取り分け専門家の注意を引くのには、それなりの理由が存在する。
 それはその伝承の起源を合衆国成立前後まで遡る事が出来るという歴史的視座からの重要性が無視出来ないというものである。
 ここではその物語の実相について掻い摘んで見て行く事にしよう。


 2:成立の背景(その2

 

 入植が開始された当初の米大陸は、”文明人”を自称する当時の欧州諸国の上流階級者見れば、正に人外の魔境であった。
 先住民族であるネイティヴ・アメリカン(かつて差別的にインディアンと呼ばれていた人々である)たちは、独自の慣習に基いて自らの生存に供する空間を著しく制限しており、多くの土地が全く人の手も付かないままになっていた。
 そんな新大陸に足を踏み入れた各国は我先を争って探検隊を送り込み、未開の土地を切り開いては小さな集落を作り”自分達の国土”を文字通り増殖させて行ったのである。
 入植当初のこうした煩雑とした状況おいては、魔女達は比較的自由に振舞う事が出来たと考えられている。
 大抵こうした開拓集落はその成立後は、自治体として独自に運営され旧世界からの干渉など絶無に等しかったからだ。
 そして新大陸は新たな発見の場でもあった。旧世界とは全く異なる植物層を有する新大陸は、文字通り薬草の宝庫だったのである。魔女達は次々とそれらを発見し、薬方を編み出していった。その幾つかは現在まで受け継がれ、北米独特のハーバル・プロセス、ウィッチ・メディシンとして成立を見ている。
 だがそれよりも強く魔女達を魅了したのは、それまで旧世界で知られていたものとは全く異なる、新しい霊的存在であった。
 昨今”霊”という言葉を耳にすると、直ぐに死者の霊魂、あるいは残留思念のようなものを連想しがちであるが、本来この言葉はあらゆる存在に普遍的に存在する意識や、それに起因する力の事をさしていた。こうした思想を起点に成立しているアニミズムでは動植物は勿論の事、岩や水のような無生物、雷や嵐のような自然現象にさえもそうした霊が存在すると規定している。
 旧世界におけるこうした考えは1400年代に端を発する一大心霊ブームの中で更に類別・体系化が進められ、錬金術などの神秘主義的知識・思想体系や主に多神を崇拝対象とする宗教・儀礼を形成する土台となっていった。この思想的な流れは現在も継続されており、様々な変化の中で主に象徴的側面が強化される形で、増え続けている新興宗教などを含む多くのネオ・スピリチュアリズム各論旨の底流を成している。魔女の行う”魔術”においても霊は非常に重要な側面を担っている。霊に働きかける事によって成立する術式も多数存在しているのだ。そうした経緯から魔女達が新大陸において見出された霊的存在に着目するのは至極当然の流れと言えた。

 魔術とは霊を理解し、それを高度に制御・運用する事で目的の遂行を成しうる、自然科学上の極めて理論的な技術体系である。その本質は極めて単純かつ純粋であり、その力は極めて繊細かつ強大である。

 上に挙げたのはメルメス・メスナーの著書”魔術理論(SMP 1919)の序文からの抜粋である。
 この文章が示唆する重要な点は、魔術が”霊を御する技術”であると規定している事である。これは古代より受け継がれている本来のアニミズムには見られない発想であり、これこそがそれらと魔術とを分かつ重要な差異なのである。旧世界における魔術の一つの常識として”人の関わった世界の霊はそれまでのものとは異なる存在である”というものがあるが、この事も霊の制御、更に強い言い方をすれば”霊的存在の改竄”をその究極の理念とする魔術の指向の現れであると言えるかもしれない。
 こうした事から魔女達はかなり早い段階から新大陸における霊的存在に着目していたのではないかと思われるのである。

 ネイティヴ・アメリカンの諸部族は、古来より主に自然界に存在する様々な事物に対応する”代理霊格”を設定し、これを崇拝対象とする独自の宗教(トーテミズム)を堅持していた。この形からも見て取れるように、彼らにとっては自然霊は、それが善しにつけ悪しきにつけ敬い畏れるべき対象であり、これを御する事など到底思いもしない。儀礼を行う巫女(シャーマン)的な存在を設定し、自然霊との交感を儀礼様式に取り入れながらもこれには抗わず、まして意のままに操ろうなどという考えは決してなかったのである。この事は前述した生活範囲の著しい制限とも密接に関係する。彼らが足を踏み入れようとしない場所、時に恐怖とともに忌避されるそれらはいわば”霊の住まう所”であり、人が手を触れてはならない”聖域”だったのである

(北米地域の先住民族の宗教体系については多くの研究書が出版されているので、興味の向きはそちらを参照されたい。)

 こうした先住民族との接触、それによって惹起される”情報交換”が魔女達の知識・活動の霊的側面に大きな影響を齎したであろう事は容易に想像できる。
 原初の状態を保つ自然霊の存在は魔女達の間に少なからぬ興奮を呼び起こしたに違いない。その力について知ろうと躍起になり、場合によってはそれを手に入れようとする動きに繋がっていった。こうした一種貧欲とも言える新しい力への様々な試みが、幾つかの暗い形を形成する。
 そしてそれがその後の重大な事態への火種となって行くのである。

 自然界における霊とは本来純粋な流れのようなものであり、そこには如何なる思惟思想も存在してはいない。
 人によって吹き荒ぶ嵐の音を表す言葉が違うように、霊もそれに触れる人によってその属性を変化させるのである。

”信仰の理論と実践(GGP 1969)”J・F・ローラコント

以下次回

 

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